むじかみ!Mizuki Muzika

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むじかみ旅

24時間以上のフライト、香港の空港にて。

日本と時差-1時間。
香港は0時。日付かわりました。
日本は1時。
旅14時間め?かな。

香港の空港。

セキュリティのチームが、なんか腰のカラビナやらなにやらをカチャカチャいわせながら、いかつくゆっくり歩きながら群れをなしていて。
なごやかに、仕事おわりだねーって感じだったんですがら。
その群の先頭が、小さめで、どっしりした感じの、いかにも強そうな女性で、かっこよかったー!
アメリカのドラマみたいだった。笑

Taipei

2018.4.28.Fri.
突然、スコットランドのグラスゴーへ。
しかもまた、青春18きっぷもびっくりな。

いきなりチケットとると、こういうことになるよ。
ゴールデンウィークとかぶってるのに、チケットとれてよかった。

19時間フライト。
ドアtoドアで24時間オーバー!

むくみがしんどいわーと思ってたけど、やはりこういうの好き。

急なノリでいく?と。
月曜に決めて、火水木と準備して、金曜朝に発!
クレイジーだよ!

時間なかったから、空港に来るまで、どんなフライトか把握してなかったよ。

香港でのりこえだとおもったら、
なんと夢の台湾、台北へ!
といっても30分ののりかえ滞在だったけどね。


グラスゴーは、スコットランドにある音楽の街。
スコットランドは、グリードブリテン。
そこに行くためには、ロンドンからのりつぎ。

東京からロンドン行くなんて、ふつうは12時間なのですが。

なぜかわたし、
一旦、香港へ。
5-6時間かけて香港へ。

え、5-6時間もかかる…?
まあ寝られるからいいか…。
と思ったら、ちがった。

3-4時間めで一旦、台湾の台北でその飛行機はとまる。
機内清掃のため。
そんなことってある?

「あ、つまり、まだ清掃前なのね…」と思うと、たしかにあまり綺麗ではなかったりして(実際にはたぶんそういう意味ではない)。

台湾で降りる人はおりて、
成田から台湾の人は一旦おりて、ゲートのそばで小一時間(といわれたけど実際は30分)待っててね、と。
duty free見るひまあるかな?とおもったら30分あったので、ちゃっかり台湾ぽいポーチを4つ買いました。

夢の台湾!
いきなり台湾にくるというサプライズ!わーい!

そして3時間ほど香港でつぶしてるところです。

11:00に家を出てから、
現在は香港時間で23:00。
時差マイナス1時間なので、東京時間で0:00。
13時間たってます!

でも香港の家族用お手洗いで、体をキレイにして、自分的におふろ完了。
あとは寝るだけ。
あした起きたら、ロンドンだー。
(12時間のフライト…寝られたらいいなぁ。3食ぐらい出るらしい)

窓側とれたよー、よかった。

ロンドンで現地時間6:30について、
5時間くらいつぶして、グラスゴーへゴー。


長いけど、たっぷり寝たいと思いますー!
ではでは、香港の2番ゲートから、倫敦へ出発します!
WiFiあってよかった、ぎりぎり書き終わったー。

走ることは飛ぶこと。

Macの調子がおかしい。
起動したら日本語システムがおかしくなっていて、
すぐ落ちるはずのダウンロードファイルに15時間かかるとか言っている。
このMacも、いつか死ぬのかな。頼むから、いま壊れないでください。。
負荷かけすぎてごめんね。人間も機械も、負担が多いと疲れちゃうよね。



今日、友達が一緒にゴハンを食べてくれた。
ありがたいことだ。
むしろ奇跡だ。
最近は出かけられないくらい弱っていたので、何度もこういうチャンスを逃してしまった。

もう2週間以上、ゴハンは1日1食。
震えたり立てない日もあるので、病院の「栄養缶」という、
死ぬ間際の人が摂取するような液体で、栄養を摂らせていただいている。

医療に、命を守ってもらっている気分。
アメリカだったらこんな風に病院にお世話になれないし、
「栄養缶」をくれるなんて、日本は本当に親切な国だなぁ。

今年の漢字を決めるとしたら「生と死」かもしれない。

今日の朝、階段の上り下りなんていうつまらない運動で、心臓が痛くなった。
今も猛烈に心臓が痛くて、(30秒くらいで一応終わった...)
とりあえず死ぬ前に残しておこうみたいなつもりで、ブログを書いている。
書いてて自分でも怖いけど、人は毎日いつ死ぬかわかんないんだ。


そして今日書くことは、
こんなもん言わないほうがいいに決まってるんだけど、
こんなもんだれも読むわけがないだろう、長いし。
という前提で、とりあえず残しておく。




夜、雨が降っていた。
傘がなかった。
帰り道、自分一人のために傘を買う気なんて起きない。
自分なんて、濡れても汚れてもいい存在だと思った。最近自分に何の価値も感じない。

「風邪ひかないようにね」と別れ際に言ってくれた友達の言葉はすごく優しくて、
自分もそんな優しい言葉をかけてもらえる日があるんだなぁと心から感動したはずなのに、
同時に、自分のことを言ってもらえているように感じない。
自分はそんな優しい言葉に値するような人間じゃないから、うまく信じられていないというか。
不思議な感覚だ。
ボケた人が自分の子供に「だれ?」と言っているような、失礼なものを感じる。申し訳ない。

ものすごく悲しいことだけど、これが今私が患っている「離人症」ってやつらしい。
絶対言わないほうがいいんだけど。こんなこと。

自分なんてゴミみたいなものだから、という思い込みのほうが強くなってしまっていて、
人のあったかさが、肌の芯までうまく届かないらしい。

ものすごく空しいけど、でも「風邪ひかないで」って言葉のおかげで、
今までの10倍100倍のありがたさと優しさを感じられる自分もいる。

氷のような自分が俯瞰や遠くで見ているのと、
超敏感な自分が何もかもを子供のような目線で、間近で迫力ある映像として現実を見ている自分と、
2つの自分が存在しているらしい。
文章にすると、気持ち悪いけど。

でもこれは実は多くの人が体験したことのあるもので、
たとえば忙しいときに笑えないとか、
いやなことを忘れてしまうとか、
一歩引いて見てみるとか、
そんなことも「離人」の1パターンなんだそうな。




帰国してから、今までなかったほど強烈な離人感から抜け出せず、毎日ひどくなっていく。
食欲も感じない。時間も感じない。自分から離れてしまっているから。
目をつぶると地面から遠く、深層心理の世界みたいなところへ行ってしまって、帰ってこれなくなってしまう。
今が冬でよかったと思うんだけど、寒さだけは感じる。
突然肩が痛くなったり、頭痛がすると、「生きてるなぁ」って思える。

ブラジルや空港宿泊のときにかかったかもしれない「ライム病」っていうウィルス系の病気も、この病気を作っている一因かもしれない。
まあでもそんな病院にかかるとか書類まとめるとか何もかも、死ぬほど面倒くさいのである。
どうせ明日死ぬかもしれないんだから、病院なんてかかっても...とか思ってしまう。
明日死ぬかもと思うと、何もかもどうでもよくて、何もかもが面倒くさい。

こんなの、生きたくても生きられない人がいるのになんてことを、とも思うんだけども、
各々が持つ状況ってのは、比較して何がどうなるわけでもない。




時間も飛んでしまって、気がつくと現実世界にとどまるために本に手を置いてそこにしがみついていたりする。
どこか遠くへぶっ飛んでいかないように、何かに手でつかまっていないといけなくて、それがPCだったり、スマホだったり、本だったり。
こうしていても理性がコントロールしているわけではなくて、どんどん意識が遠くへ飛んでいくから、自動で文字が入力されていくような状態になる。
何書いてるかなんて、自分でもわかっていないし、どうでもいい。

英語はアレルギーみたいになっているから、勉強はきちんとした文章は読んでも頭には入らない。
英単語をひたすら書いて手で覚えていくとか、ある種トランス状態みたいになりながら、ぼんやりこなしていく感じ。

現実にいないわけだ。

何よりもかわいそうなことだと思うのは、
この子は、薬やお酒でこうなっているわけではなく、そんなはけ口もなく、
自分が大嫌いでたまらない薬中とかアル中が体験しているかもしれない、嫌いなテの世界を体験させられていること。
一人でお酒でも飲んで、この地獄みたいな感覚が酒のせいだと思えたら、どんなに楽だろう。でも一人でお酒なんて飲む人間じゃない。

ちなみにスピリチュアルも好きじゃないから、「帰ってこれない」とか幽体離脱みたいなことを言うのも非常に遺憾だ。
そして、自分が体験していることが、それ以外の何物でもないことも、受け入れがたい。

眠る行為もつらい。人に説明するのもつらいぐらい。
目を閉じたら、今度はまた別の現実に引きずりこまれる。
夢は現実ほどくっきりしてるし、現実は夢ほどぼんやりしている。だから境目がない。



人に誤解されたくないなんてこだわりもなくなってしまったし、
明日死んだときのために記録しておこうか、みたいな軽い気持ちで、ここまで書いてしまった。

言わないほうがいいに決まっているけど、できればいつも正直で隠すもののない人間でいたい。
あとは単純に、記録魔なんだろうな。
記録していなかったら、明日の自分が何にも覚えていなかったら、不安で仕方ない。





あるとき「あぁ、なんもかんも空しい」っていうときがあって、
そのときに、ふわーーっと、意識が空にいってしまって、なかなか全部は帰ってこれない感じ。





こんな状態なわけだから、
今日みたいに、ちゃんと時間通りに立って準備して移動して友達と何か食べられる日は、貴重だ。
まず準備が成功した時点で奇跡だと思うんだけど、
こんな自分にも、会ってくれる友達がいてくれることが奇跡だ。




友達と食べたものはおいしいし、
友達と飲めば、コーヒーはものすごくおいしい。
一人のときは、パンもお米も、あんなに恋しかった日本食も、砂の塊を噛んでるのと変わらない。
だから友達って存在は魔法だ。人生で一番必要なものだと実感している。



お肉がおいしかった。
でも、おいしいいーっって言っている自分の、80%は体の中におさまっているとしても、
20%はまだどっかに置いてきちゃってたりする。
でも普段は80%喪失していたりするわけで、これは本当にありがたい。友達のおかげだ。




そこで食べたエネルギーが、帰り道に燃えてしまったみたい。
地下鉄の駅を出たら、
急に、外の風や、寒さを感じるってこと自体が、ものすごく気持ちよかった。
風と寒さを感じるってことに、快感を感じた。
水滴を感じる暇はなく、気づいたら足が走り出していた。

着ていたジャケットのフードをかぶると、雨が降っているのは全然感じなかった。
服が濡れてきても、それを手で触れても、「これは水滴のはず」と認識するのに、全然手で感知できなかった。
自分の体が雨に濡れている感覚がない。


ライム病では手の麻痺が起きるというけれど、麻痺っていうのも違う気がする。
あんまりわからないけど。
自分の手を触れると、知らない他人に触られているようで、ひたすら気持ちが悪くなる。



寒いとか、濡れるとか、
風邪をひくなんて関係ない。
風邪をひける明日が存在するなんて思えない。

最近、自分の体をつぶしたい気持ちでいっぱいだった。
つぶれるまで走りたいと思った。



走りはじめてすぐ、何かスイッチが入った。
たぶん心拍だと思う。
ドッと脳に「生きてる」って感じるアドレナリンみたいなものが走っていくのがわかった。


ものすごく気持ちよくなったので、気づいたら速度を上げて、まっすぐな夜道を全速力で走っていた。
その瞬間、自分が弾丸になってぶっ飛ぶように、
「生きている」という感覚が戻ってきた。

走っている足が水たまりに突っ込まれると、
自分の体ではまったく感じないのに、
その光景だけが第三者がカメラで撮影したような映像として、やけに生き生きと目に見えてきた。

だけど走っているという感覚、地面に足をついているという感覚はなくて、
ただただ飛んでいるような気分になった。

夢の中で自由に空を飛べるのと同じような、
空を飛べるものの目線で撮影した映像を見ているような、ただただ気分がよくなる光景。

体がどんどん軽くなっていって、ふっと消えてしまいそうになる。
(今考えたら、心臓止まらなくてよかった)


そこから何も考えず、無我夢中で、心臓破りの坂をのぼっていた。
「無」になって、走っているのに消えてしまったような気分。




途中でバテて膝から落ちたいくらいだったけど、休むとすぐにまた走れるようになる。
休んで息をしていると、急に地面に、現実に戻ってこれる。
そのとき、すごく生きていると思える。
自分の息があがっていることや、心臓の音が信じられない。
自分の体だってことがわからない。

なのに、休むとまた体が動くことを奇跡に思う。
自分の体だって感じがしないのに、嘘みたい。
今まで動けなかったのに、嘘みたい。

なぜか遠回りをしたくなるほど気持ちがよかったけど、
いきなり走りすぎたら体力がもたないと思ったから、やめた。




「雨の中で走ってみた」って文字だけ見ると、ロッキーみたいな熱血な感じだけど、それとは真逆。
神経が鈍い中で走るっていうのは、めちゃくちゃ怖いことだった。
いつ膝から落ちるかわからないし、どこかが痛くなっても気づかないからだ。
この恐怖感、誰かにわかってもらえるような気がしないけど、今はそれも全然気にならない。

孤独感も感じない。人がわかってくれるとも思わなくなった。


人と感情や感覚を共有できると、思わなくなった。
それと同時に、正反対の感覚もある。
自分はどんな人の感覚にも入り込んで、その人の感覚を共有できる気体のような存在でもあるようにも感じる。

こうやって文章にするのは、人にわかってもらうためじゃない。
明日の自分が全部忘れていたときに、
昨日の自分はこんな感じだったよ、と教えてあげるため。記録。
あとは同じ離人症の人がいたら、しんどいだろうなぁと思うから。
そうじゃない人に変とかやばいと思われるのは、なんだかどうでもいい。

こういう話題が好きな人が、近づいてくるようになるかもしれないし、
こういう話題を嫌いな人は、離れていくかもしれない。
もっとうまくやればいいのに。
でも人目を気にするとか、世間体を保つという最大の安全をぶっ壊してでも、
私が今自分及びもしかしたら誰かのためにしてあげたいことは「正直な記録」なのだ。



気味が悪い話だけど、自分は今「意識」だけの存在になっていて、
ずれた体の操作を一歩間違えたとき、ふっと体は死んじゃうんじゃないかな、と思う。

「気づいたら、両肩を電車のドアに挟まれていた」という経験を帰国直後にしたんだけど、
そんなことがふと起きてしまうような気がしている。
よくわからないまま気づいたらはさまれていて、反射的に周りの人がみんな手をのばしてドアをこじあけて助けてくれた上に、一秒後には何事もなかったような顔をしてくれてみんなが満員電車の中に秩序を取り戻した記憶だけが鮮明にあって、感謝している。
人の力は、集団の力は、本当にすごいなと思った。
よってたかっていたぶることもできるけれど、助けること、生かすこともできるんだ。

1年前に自分は逆の立場で、ドアにはさまれた子供を助けるために手をのばす「みんな」側に回ったことがある。
iPhoneも財布も座席に置いたまま瞬時に向かったので、後々事故の影響を調べたら「ああいうときすぐ行けちゃう人すごいわ」とツイッターで書いてくれている人がいた。
1年前の私があのとき子供のために手をのばさなかったら、人々は私のために手をのばしてくれただろうか?
考えてみたけど、過去なんて関係なく、たぶん人は助けてくれていただろう。
だって1年前の自分だって、とっさに手をのばしていたから。
人って優しいものだと思った。
だから自分も、人には優しくしなきゃいけない。




そう、「人には優しくしなきゃいけない」という気持ちが強くある。
だから「ありえないほど人に優しくない」人を見てしまうと、
ときどき許容範囲を超えて、何も言えないけれど、すごくショック受けたり、怒りを感じたり、
なんともいえない受け止めがたい気持ちになる。


8ヶ月前は、こんなんじゃなかった。
8ヶ月の間に、汚いもの、受け止めたくないものをたくさん見すぎたせいで、
脳が現実を拒否して、自分は自分じゃないと思うっていう対処法をとっているので、
体と意識が別になっているらしい。
なんか、脳みそって、すごいですね。


3月4月に、日本でいろんな人と、
桜がきれいだねーって言ってた自分は、すごく普通だった。
いつもネジ多少はずれてるかもしれないけど、
少なくとも、こんなんじゃなかった。



ということは、8ヶ月前の自分に戻ればいい。
わかりやすく「去年の自分」に戻ればいい。
去年の12月の自分は、とにかく走っていた。
歌いたいから、踊りたいから、両方同時にできるようになりたいから。体力がほしかった。
もし自分がアラジンで、ジーニーに願いを叶えてもらえるとしたら、たぶんそれがほしかったんだろう。

続けていれば叶うものと思って、新しく買ったランニングシューズを外国にも必ず持ち込んだ。
でも実際は、海外で走る余裕なんてなくて。
今朝は階段の上り下りだけで心臓が痛くなる、そこまで弱くなってしまった自分が情けなくなった。
一年で強くなるはずが、弱くなっていた。

いろいろ強くなったとは思う。体も心も。
でも結局負けて、一ヶ月ゴハンまともに食べられない状態に追いやられたら、人間てこんなに弱ってしまうものなんだ。

次の一年こそ、自分の意志を貫きたい。好きなことをしたい。

帰国してすぐ、一度走ってみたときも、ものすごく気持ちがよかったなぁ。
「走る」だけでもいいから、好きなことをしたい。

離人の治し方としても「体を動かす」っていうのが効果的らしい。
しばらくは、誰がいようと、走ることだけは人に遠慮せず、制限せず、続けていこうと決めた。

友達のおかげで、やっと体が「音楽」に戻ってきた気もする。
今日は久しぶりに「音楽」を楽しむことができる1日になった。
離人で一番つらかったのは、「音楽」すらどっかいってしまったり、つかんでもすぐ消えてしまったり。
歌詞のある曲は、日本語にも英語にも疲れてしまっているのか過敏になっているのか、聴くことでがわーっと言葉が出てきてストレスになったり、楽しむことができなかった。
作詞作曲は時々ふっとできたけど、じゃあPCやピアノに向かって...と立ち向かう体力はなかった。

今日は昼寝したら元気が出たんだけど、 そのとき「ピアノに手が届かない(地べたを這いずっている子供がピアノに手をのばしているような目線)のがすごく悔しくて、その直後のカットではピアノの前にちゃんと座って練習している」という夢をみた。
人と話して、食べて寝ると、何か力みたいなものが自分に戻ってくるんだなぁ。



自分を音楽に、自分の世界に、現実に、戻してくれたのは、周りの人のおかげ。 
そういえば昨日も「音楽やらないの?」って言ってくれた人がいたり、
なんだかんだで、人に背中を押してもらうと、それだけが強烈に頭に残る。

「え、好きだったことでしょ? なんでやってないの?」と言われたとき、
「起き上がれなくて...」と言ってるとき、すごく情けなくなった。

人々は好きなことやって自分というものを形にしていっているのに、
自分は全然自分に集中できていない。
自分がないんだから、当然だ。今。

音楽の話を少ししたら、昨夜からずーっと、ずーっと、ぼんやりと幸せだった。
ごはんを食べると、現実に戻って、気持ち悪くなって、またいやなことで頭がいっぱいになって、頭痛がしまうんだけど。。



「やりたいこと」 とか「音楽」とか、好きなことだったのかも。
今は義務みたいに、「読む」とか、文章追えないからとにかく「見てイメージとして覚える」っていうのをやってる。
サヴァンの人とかが「文章を読まずに見て写真として覚える」って言ってて、今までわけわかんないと思ってたけど、今ときどきそうなることがある。一瞬で消えちゃったりもするんだけど。
そういうとき、自分の中にフィルターってものがなくて、スッと何にでも入っていける浮遊物になった気がする。
現実や、型にはまったものの中に入るのは、むずかしい。
問題集の答えの枠を見ているだけで、自分が枠に閉じこめられているような気がして苦しくなったりする。



音楽には言葉がないものもあるし、延々と機械音がくり返されたりするのが、最近妙に好きだ。
前は退屈で仕方ないと思ってた。

無理しなくても、気持ちに合うような切ない曲や、ここにいないような浮遊感のある曲だって、いっぱいある。
そういうものを聞いていると、自分の感覚を共有してくれる存在があるようで、安心する。





一番無理しないでできることは、音楽かもしれないなって、思うことができた。
やりたいもの、映像にしろ、英語にしろ、音楽ありきだし...。


自分の手に感覚はないんだけど、
まるで色んな人に手を引っ張ってもらって、音楽という場所まで連れ戻してきてもらった気分。
別に誰かに手を触ってもらっているわけでなくても、
そんなふうに映像として、人の気持ちや感覚が残っていく。

だから、記憶もこれからどんどんめちゃくちゃになっていくのかもしれない。
映像として頭に残っているものが、しっちゃかめっちゃかになっていく。
どんどん、あるものないもの、夢も現実もいっしょくたに、同じファイルに放り込まれて、どんどんデータ膨らんでいく。追いきれない。
ある日ハードディスク壊れそうで、怖い。



うまく言い切れない感覚ばかりで、ああ言葉にできない、と思うとなんだかすごくしんどいんだけど、

「じゃあ音楽にしていこうか」っていうのも、思ったより日数のかかる、現実的な問題なのだ。うんざりするほど。
だからそれをやりたかったら、明日も生きていかなきゃいけない。
起き上がれないとか、言っている場合ではない。




一時的なものですみますように。

「友達がいるから人はマトモでいられる」をシャーマンに怪しい薬飲まされて言うジョーブログさんの説得力。 #アマゾン川下り

(タイトルがアレですけど、わたしは薬物の類が死ぬほど大嫌いですし、それを商売にしている人はシャーマンも含めて好感が持てません、ごめんなさい)



Fワード恐怖症となってしまったわたし。
なかなかつらいです。


特に夜、早いと夕方に日が暮れはじめると、ふと脳がフラッシュバック。
トラウマって、つらいですね。

今年度浴びたFワードNo.1決定戦!
Fワード天下一武道会!
第一回年忘れ2016年にされたイヤなことNo. 1を決めろ!

競い合うように脳を飛び交う、せめぎあう悪夢。
肉弾戦、空中戦、時には宇宙へ。


フラッシュバックは、パニックである。

何か書いたり、しゃべっていれば、その間におさまっていく。
今まで電話ってそんなに好きじゃなかったのに人に電話かけるようになってしまったし、
LINEのやりとりしてしまったり、
ツイッターのタイムラインなんかは独り言だからと怒涛に埋め尽くしている気がするし、
すごく迷惑な人間になっている。
わかっている。
そしてまた落ち込む。

飲んでないのに、アル中の禁断症状みたいな症状だと思うので、何かの症状と戦ってる人ってのはこんな感じなんだろう。

アメリカでは「飲まなきゃやってらんない」という言葉に飲まれかけてお酒飲みかけたときもあったけど、
お酒好きじゃなくてよかった。
好きだったらアル中になってたと思う。
でも逆に、飲むものがないから、本当にやってられない。はけ口がない。


コーヒー飲んでも紅茶飲んでも、砂糖の味がするとアメリカを思い出してテンション下がるから、飲み物も飲みたくない。
日本食はおいしいけどそのおいしさが逆に刺さってアメリカにいたことを思い知らされるから、何も食べたくない。
本当に何も食べずに1日1日過ぎていくうちに、ちょっと衰弱していく。
久々に外でたら、目がチカチカしてたし、足も弱ってた。大丈夫かなこれ。
1日1食食べてるから多分大丈夫。


戦争から帰ってきた人みたいな感じ。
食欲もなく、何もやる気も起きず、
アメリカのことを考えるとゾッとするし、フラッシュバックが来る。
うっかり醤油でも飲んでしまいそうな勢い。
今すごく、元日本軍で地獄見てきたおじいさん方にインタビューに行きたい気分だし、
そんな霊がいたら波長よく仲良くなってしまう気すらする。


本を読んでいても、いちいちひっかかってしまう。
英語の勉強しなきゃいけないんだけど、おかしいくらいに入っていかない。
頭動かないから、手を動かすだけの英単語書いていくドリルしかやってない。

会いたくて会いたくて仕方なかったピアノが目の前にあるのに、そこまで動く元気もない。。
あと食べてないせいもあって、めっちゃ寒い。。

PC開くと発作みたいになるから、PCも開かない。やらなきゃいけないことあるのに。大丈夫かなぁ。。
もはや自分の人生がすべて他人事に見える。。(これ自殺する一歩手前の人こんな感じらしい)

ふと発作が来ると頭がジャックされて、本当に気がつくと30分、1時間、2時間、すぎてしまう。




そんなわたしが気を散らすためにしているのは、
癒されるのは、
日本語を浴びること。

とはいえ、こんな状態で人にからむのはあまりよろしくないし、
外出る元気もなくなってきたし。
TVは見ない。ワーッとしてるし、なんかもうダメ。


だから会ってくれる友達に救われるんだけど、
自分の口からグチやネガティヴなものがたくさん出てしまう状態で大切な友達に接していたら、
大切な友達がみんな離れていってしまうのでは…
なんて思うと、怖くなったりして。
友達は宝物。

あと気づいたら本当に30分1時間と勝手に時計が進んでるから、時間の約束するのが怖かったりもして。
どこで消えてるのかわからないんだけど、1時に家でたら1:30に着くはずが、1時に家出てるのに気づいたら2:00到着になっていたり。
少なくとも数分で最寄りの駅に着くはずが、家から駅まで1時間かかっていたり。なぜ??
この時間を失ってる現象は本当に怖い。ほんとにどっかに消えちゃってる。
こないだもよくわからない間に電車のドアに体はさまれたりしてたし、
知らない間に気絶でもしてるのかな??

なんかやばいと思うから、今あんまり脳みそに負荷かけないようにしようと思う。





だから本を読むか、YouTubeの動画とか見ているわけなんですが。


ジョーブログさんの南米横断っていうのが、
猿岩石みたいなことになっていて、すごいです。

英語出てこないし、
基本的に人の優しさの部分がフューチャーされてるので楽しく観れて。

すごいアブナイ旅をしまくってるのですが、(よく生きてるなぁと思います)

アマゾンで川下りしていて死にかけて、
仏のような村の人々に助けられ、
シャーマンの儀式を受ける回。

トランス状態になるための怪しい液体(間違いなく薬物)を飲まされたジョーさん。

遠い世界にトランスしてしまった状態で

「今何か知りたかったら俺に聞いてくれれば真実がわかる」と断言しはじめ、
語りはじめたのがコチラ。











すごーくわかるなぁって、思いました。
日記に書けばいいことをわざわざツイッターに書いたりするのも、そういうことなんでしょう。


つまらない言い方をすると、
人は正常・正しくありたいがために、社会とのつながりを求める。


 
今の自分が妙に社会とのつながりを求めて人に電話してしまったりするのは、
頭おかしくなりそうだから必死でマトモな世界に戻ろうとしてるってことなのかもしれないです。

友達の存在をこんなにありがたく思うのも、
こういうことかもしれないです。



今年4月、アメリカに行く前、
友達何人かでおそろいの指輪を作りました。
細くていつなくしてしまうかわからないような指輪なので、怖いんですけど。
アメリカではそれを見るたびに友達を思い出すことができました。

ネックレスなど、友達からもらったプレゼントも持っていました。

その一つとして、以前書いた「盗まれたペン(子供の頃に人にもらったもの)」も持っていました。
あれはわたしの良心をつなぎとめておいてくれるものでした。
自分をマトモにさせてくれるもの、
つらくても仏の心でいようと思わせてくれるものでした。

でもペンをなくしてショックで、
親に言われたのは
「そういう大切な物は旅に持ってっちゃダメなんだよ」
旅というより生活だと思っていたし、家だと思っていた場所での盗難はショックです。あ、また落ち込んでる…。立ち直れない…orz


自分の身なりに気を使う余裕もなくなったり、
空の旅や病気による体のむくみによって、友達とおそろの指輪をしなくなる日も続きました。

ネックレスを入れたアクセサリー入れを、ルームメイトに盗まれないように隠しておくだけの日々も続きました。
良いものをつけていると目をつけられるので、素敵なものはすべてスーツケースに隠しておく。
今考えれば、家庭内だろうとなんだろうと、匿名で警察に通報すればよかったのかななんて思います。まあそうもいかないでしょうけど。


そんな日々の中で、
友達という存在まで奪われていったかのような気がしたり、
海の向こうにいる友達のことを気遣える余裕がなくなったとき、
自分のことで精一杯になっていたとき、
マトモでいられなくなったような気がします。
潔癖症になったり、悪夢に苦しんだり、パニックが来たり。


これからは友達からもらった指輪とかは、いつでも身につけていたいものです。。
でもあのペンみたいになくしたり盗まれたりするのも悲しいんですけどね。。


でもジョーブログさん見てたら、この人って物が盗まれたりダメになってもめげないんだろうなぁと思った。


現実に自分をつなぎとめておいてくれる友達という存在を、これからも大切にしていきたいと思いました。
12月は会いたい人いっぱいいるのに余裕なさげでなかなか顔出せなかったりしますが、
早く余裕も取り戻して、色んな人に会って楽しい時間を過ごしたいです。



って、刑務所の中で贖罪してる人からの手紙みたいになってしまう、このノリはなんなんでしょうね。
悪いことしてないんだけど。。

「飲まなきゃやってらんない」の代わりに
「罰を受けたんだと思わないとやってられない」で乗り切ろうとしているので、
最近なんでも懺悔しちゃって、罪悪感すごいです。
飲みに行ったほうが千倍マシですね。

日本で「飲みに行く」は友達と会えるということでもあるので。健康度が違う。

週末くらいは、ホットカルーアミルクで体あっために行けばよかったなぁ。友達と。



ちなみにこれが続き。↓



旅に出てしまう人ってのは本当につかみどころなく風船みたいに気づいたら空飛んじゃってるわけですが、
地上につなぎとめておいてくれるものをとにかく欲してます。
たしかにこのまま消えていってしまいそうだもの。
わたしは今、日本に帰ってきてよかったーと思いつつも、まだガスの抜けてない元気な風船なので、ふわふわしちゃってる感じです。
いやあ、しかし、全然抜けてくれないなぁ、異国の空気。。
地上に足をつけて、落ち着きたいです。。
あ、ゴハンもっと食べれば、このふわふわ感なくなるだろうなぁ。。常識で考えたら。
自分のベースとして頼れる「常識」ってものが国の移動で崩されていくので、日本で日本の常識の中で生きてみたい。
今、そんなつまんないこと考えて憧れてます。つまんないのわかってるのになぁ。
ジョーブログさんは自由ってものを語ってて面白いことになってますが、
自由人ってのは本当に掴めないものです。飛んでます。それはそれで辛い。日々が幽体離脱みたいなものです。
自分のことが他人事に思えるようになってる現状はまずいので、とりあえず自分をたまごっちだと思って、ゴハンでも食べさせておきます。

That's my baby, Macintosh. 異国でピンチに陥った愛用PCと初めてケンカした?地獄の修羅場を振りかえる。

「聞きたいなー」と思った、懐かしい曲、
MDでしか持っていないことに気づいた。
youtubeで探しても見つからなかった。
そんなこともあるんだなーと思いながら、

MDコンポの電源を入れ、
そうしたらコンセントが絡まっていたりなんだで、ガタガタものを崩して。
何しろ10ヶ月ぶりにエンジョイする家ですから。

そして「久々にMDラックをあさって宝物探し感覚を味わおう」と胸を躍らせながらひきだし開けたら、
一番目につくところに、そのMDはありました。

再生したら、スピーカーの位置がしっくりこなくて、あれこれ動かして。
10ヶ月いない間にお母さんが掃除してくれたりしてたおかげです。ありがとうございます。
最近こういうの感謝が絶えない。

最近、日本の家でモノの位置を変えるとき、色んなものを倒したり壊したりしそうで、怖い。
距離感、タイト感、サイズ感、繊細さに、慣れない。





「もうしばらく働くのはお休みでーす」と両手両足投げだして、
もう10日ほどPCを開かなかった。
目肩首コリきついし、何より頭爆発しちゃうなーと思った。
無休で頑張ってたから、PCも休ませなきゃ死んじゃうなと思った。

自分の持っているMacは、
「きみでも音楽を作れるよ」
「きみでも写真や映像を綺麗に整理できるよ」
「きみでも活字を動かして映像にテロップつけられるよ」
そんなふうに世界を広げていってくれた、
宝物であり、恩人であり、親友の一人なのです。

5年は使ってるけど、だれにも古いとは言わせたくないし、
例えばこの子の動きが遅いとか、文句を他人に言われようもんなら、
楽器や愛車、しいては友達をけなされたような気分になるのです。


最後にPCを開いたのは、アメリカにいたときだった。
帰国後はじめて、今立ち上げた。
「休み、楽しんだ〜? 大変だったけど、無事帰ってこれたね〜」と、
苦難を一緒に乗り越えた戦友に話しかける気分ですよ。

そのMacの画面に驚愕。絶句。

なんか、知ってるデスクトップじゃない。
一瞬壊れたのかと思って、肝が冷えた。
でも、そうだ、大丈夫。壊れてない。

そして思い出す、地獄の日々。



2016年11月頭らへん、帰国前、
人生最大の山場かと思われるほどの、色んな地獄を通過した際、
PCの容量が残りなんとわずか200MBの過労死寸前まで陥った。

「うちの子もうヤバイから」と言ってもみんなが前のめりで全員挙手しながら働かせにかかってくるので
「PCの容量やばいのに働かせるってことは、わたしの友達殺すってことですよ?」と
半ばキレながら「無理です」を連発していたわけです。


でも動いてもらわなきゃいけないし、
なんと大きなファイルを書き出ししている最中に、
PCの容量残りあと500MB...あと400MB....あと300MB...
と、PCもPCで、爆弾岩みたいにキレはじめてしまった。

大親友で仲良しのMacにまで初めてケンカを売られる関係になったのか...と泣きそうになりながら、
せっつかれるように「どうすれば容量減らせるの...!?」と頭をめぐらせ、

色んな画像をHDDに逃したり、
なんかもう逃す間も逃した場所を把握する間もなく、
削除していった。

そうしたらそれまで長年デスクトップにひろがっていた、
大好きなピンク色の空が消えてしまった。

その画像をPC本体から削除してしまったから当然なんだけど、
「創作と自由の象徴」みたいに広がっていたピンク色の空が消え、
どこのだか知らない冷たそうな岩山が、ドドーンとそびえたっていた。
その山の断面がシャープでシャープで、
心までスパッと切り取られた気分だった。

わたしのMacが、自由なクリエイティビティを追求する夢のツールから、
つまんねえビジネスツールに成り下がったみたいで、現実を見せられた。
うちの子は、金儲けのアイテムじゃないんです。夢を生む工場なんです。



わたしはいいけど。わたしはいいけど。この子を追い詰めるのはやめて。。
うちのPCは熱を上げ、ファンファン言いながら、頑張っている...。
これもう死ぬ...。この子死んだら誰が責任とってくれるのよ...。自分が守ってあげるしかない。




画像削除して、一瞬軽くなってホッとしたのも束の間。
まだまだ止まらない、地獄へのカウントダウン。
空容量、あと600MB....500MB...400MB...
これ一杯になったらどうなるの?
作業全部中断したり、最悪バグったら、これ、〆切どころじゃなく、大変なことになるかも...。 

異国でPC壊れたら、どうしよう。
あと数週間で、日本に帰るんだし。。




絶望漂う中、背中を遅いかかるようなプレッシャー。
「PCこれもう無理、一回休ませなきゃ無理。作業できない」「ごめんそんな時間ない」

まったくPCよくわかってないやつは、この恐ろしさも処理の大変さも知らないから!とキレそうになりながらも、顔で笑って、いや顔も笑っていたか自信ない。
「高熱38度+食中毒のときもなぜか謎の笑顔でいられる女」だったわたしが、笑ってないとはオオゴトだ。気づいたら周りのムードも、ヘビーにダークになっていた。

このPCを過労で殺されたらキレるな、と思いながら働いてました。
 



PCに負担かけられないので、スマホでググる。
新しく入れたソフトのバックアップが本体に保存されてしまっていることを突き止め、
その保存場所を変更して、一気に
「空容量20GB」まで近づけたとき。

「よっしゃあああ!!!」と一人青空にガッツポーズしたし、
見上げたらラスベガスのヤシの木が揺れていて、あ、地獄から天国...って思った。

そのときに「やっとミズキちゃん明るくなったー」の雰囲気になってグイッといい風が吹いたので、
今まで理解不能だった「アゲー」とか言っている子たちって、いい風たくさん吹かせてるんだなぁと思いました。
だけど「おまえらにはわたしとうちのMacちゃんがチームでどんな修羅場くぐったか、想像もつかないと思うけどな!!!!」と、笑顔でポケットの中で中指を立てたい気持ちでした。 

「これでもう爆弾岩の地獄のカウントダウンから解放される…」助かった…」という脱力感と。
「空き容量20GBも確保できたなら、新しいファイルを作って新しいことができる…!!」と、じわじわ希望の光が見えてきました。
デスクトップの新しい壁紙の岩山に、光すべて遮られた気分ですが、太陽のぼってきた、という感じでした。


ちなみに「よっしゃー!」という日本語は、外国の方にはすごい派手で恐ろしいスラングに聞こえるみたいなので、使うときには気をつけましょう。



このPCとは一心同体、ずっと大切にしてあげたいです。




そんなわけでこのPC、今までの壁紙に戻してあげたい。
というか戻さないと、わたしのメンタルもいちいち、あのときの地獄に引き戻されてガタ落ちる。

どこに逃したっけ、あの画像...。
あのときのことは、うまく思い出せない...。
記憶が削除しようとしている...。
PCとともに、わたしの脳も、処理能力の限界まで達していたと思う。



わたしは合計5-6コもHDD持ち歩き、そこにPCと一眼とビデオカムを背負って旅をしてきたので、
空港で歩いてるときの肩のめりこみ方も、人知れずハンパない。
衝撃を当てないようにカートにPCリュックものせない派なので、肩が死んでます。
そして誰もこんなやせっぽっちがそんな重量に耐えているとは思いもよらないので、心配とかしません。
若いからって無理してたら、本当に肩も死ぬんだろうなぁ。。 


一度ニューヨーカーが「僕は写真家!カバンの中こんなに重たいけど、君と歩いてデートがしたい!」と言ってリュックの中を見せてくれたことがあったんですが、
「その程度の激軽そうな荷物で弱音をあげるでない」が本音でした。
「こんな体格がいい人より重たいもの背負って長時間平気な顔して歩いてるとか、わたし普段強がりすぎている…」と気づかされ、絶望感しかなかったです。





それらのHDDの整理もだんだん地獄の修羅場くぐる中でめちゃくちゃになってきちゃったので、
もはや手がつけられない...。

そして時間を与えられず、わたしたちはまた動きはじめてしまう。


久々に顔を合わせたわたしとMacはやっぱり仲良しで、
「あれやっちゃう?」「これやりたいね」

明日は早く起きたいねーと思っていたのに、
また、ふくらむ夢や理想を実現させる色んなソフトを開いてしまう。

That's my baby, Macintosh. 
うちのMacが、懐も広く、ピンチにも耐えられる、頼れるイケメンだということが同じ修羅場をくぐってわかり、また5年目のフォーリンラブ、なのでした。

That's my baby, Macintosh.   
わたしには、Macしか見えない♡


ちなみにアメリカで、自分くらいパソコンを丁重に扱う人は、見たことないです。





#むじかみ旅ラスベガス編 
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