2016-05-25 17:44:18 
in US
 
わたしが異国で食中毒と高熱に苦しんでいるあいだ、
日本では、うちの鳥が亡くなった。
名前は、悟空という。

思えば悟空は、
4月にわたしがエコノミークラス症候群で苦しんでいたとき、
同じように同じ左足を傷めはじめた。

ヒナから育てた、手乗りセキセイ。
悟空が赤ちゃんだったころに家に連れて帰ってきて、あっためた餌を毎3時間、手から与えたものだった。
一部の人にとってペットとはそういうものであるように、彼もまたわたしにとってかわいい自分の子供みたいなものだった。

悟空が4歳になったころ、わたしの海外往復生活は始まり、
わたしは家族に鳥を預けなくてはならなくなった。

鳥はとても繊細なので、あっちゃこっちゃ動かすのはよくないから、
悟空はずっと家族の家で暮らすことになった。
うちの家族はみんな鳥好きで、とってもよく世話をしてくれるし、悟空も居心地がよさそうだった。

わたしもしょっちゅう家族の家には訪れているし、
電話をすると電話口で、鳥とわたしは会話ができた。
セキセイインコは、しゃべるのだ。




とても悲しいことに、
動物のこういう話は、
倫理観の違う人が読むとまったく意に反するように取られてしまうということ。



わたしは今、異国にいる。周りにいる人はみんな異文化。
そうでなくても、たとえ同じ国で育ったもの同士でも、人それぞれ常識というものは違う。


今日一番いやだったのは、
わたしがまるで無責任で、
外国にいる間に鳥を1人にさせていたのかと他人に質問されたこと。
だから他人には、こういうことを報告したくなかったんだ。
ただの世間話にしていい話じゃない。


海外の人の中のには、(ほんの一握りだと信じたいけれど)
人や動物の命についてデリケートな言い方をできない人がいるって、
わたしは前回猫を亡くしたときに知っていたから、
きっとわたしは日本人がいるSNSに、日本語で鳥について書いたんだと思う。



動物の扱いは、国によって違う。
たかが猫、
たかが鳥、のように話す人もいる。
でも悟空はわたしが育てた家族なんだ。
英語で強い語調で言われたショックは、一生消えることがない。
許すことはできても忘れることはできないのだ。


海外に一カ月いるわたしに、鳥を1人にしていたのかなんて、そんな質問ばかげてる。
そんなありえないこと、するわけがない。
侮辱とも言える。

でもこの感情と常識は、この国にいる普通の人々とは共有されていないから、
わたしが食中毒とあまりの怒りで少しだけ感情的になって、
静かに、でも強く「鳥は家族といたしよく世話されてる」と説明しただけで、
わたしはまるで感じの悪い女、みたいな扱いになってしまう。
みんなわたしよりももっと強い口調で英語をしゃべってるけど、それは何も問題ない。

常識のズレっていうのは、本当に強いダメージだ。
別に離れていられるならいいんだけど、それができない環境というのはつらい。
鳥とわたしの気持ちをわかってくれる人だって、アメリカにはたくさんいる。
でもその人たちの周りには、そうでない人たちもたくさんいる。
そしておしゃべりな人たちは、よく考える前にとにかくしゃべって、人を傷つけたことにも気がつかない。



動物を何日間も1人にするなんていう発想ができるのは、
動物を大切にしたことのない人間の言うことだ。





わたしが鳥を任せた家族は、わたしよりも長年動物を育ててきて、長生きさせてきた。
鳥も居心地よくやっていた。
鳥は9歳、長生きした。
セキセイインコの平均寿命7-8年。
うちの鳥は、子供の時から強い個体だったし、運が良ければ10超えると信じていたけど。

ちなみにうちの猫は20歳まで生きた。
うちの家族は、本当によく動物の世話をする。
わたしや家族のせいで死んだのかと遠慮なく質問されるのは、本当に傷つく。
あの場にいた、よその人たち、誰ひとり、sorryの一言も言わなかったね。相手が鳥ならsorryはいらないのか?
こっちは言うと思ってたけど、言わないタイプのアメリカ人もいるのね。知ってたけど。
そうじゃないアメリカ人がたくさんいることも、わたしは知ってる。
わたしもバカじゃないから、言っていい相手と言いたくない相手は、自分で判断できるしそうしたい。


アメリカでは、人の常識は違う。大きく違う。
そしてそれは、時に人を傷つける。

ペットに対する考え方、動物に対する考え方、何が失礼かそうでないか、死生観、治安、清潔さ、
あれこれ違うのは、
宗教観がベースにあるのではないかと考えさせられる。
これ以上話を進めることはよくないのでやめておくけれど。
食中毒のせいで、わたしの精神がちょっと病んでるということにすれば、話はすべて落ち着くんだと思う。
ぜんぶ自分のせいにすれば丸く収まるけど、そういうことにするとみんな遠慮なく容赦無くわたしのせいにする。
ここで生きるためには、もっと図太くならないといけないのかもしれない。でもそれは、なりたい自分像と真逆にある。



さて、発熱を伴う食中毒にかかった理由は、なんだったんだろう。
清潔なところに行って、一回なにもかも清潔にしたい。
頭の中もクリーンにしたい。


ここは発展途上国ではないのに、
心が汚い人々は、物を汚すし、それは人に病気をうつす。

腐ったものに触らなければならない職種の人々、
ゴミや汚水の処理をしなければならない人々、
あらゆるものを清潔に保っている人々を、わたしは今、あらためて心から尊敬しています。
それがどれだけつらくて危険なことか、身をもって体験しました。お腹痛い。。
今回の食中毒は、本当に、死ぬかと思いました。
昨日は熱と痛み、体は麻痺しちゃうし、めまいもして立てず、混乱してたし、今だって自分が正常かどうかはわからない。



鳥も猫も祖父も友達も、
みんなわたしが違う国にいる間に、星になってしまいました。
旅をするということは、とても悲しいリスクを背負うことでもあります。

これを読む人が、似たような常識の範疇にいることを願って、ブログに書きます。
そう信じたいから、わざわざこうして書くんだろう。