むじかみ!Mizuki Muzika

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2016年12月

終わっていく日々。1日1回転も地球が回っているという現実味のなさ。

昨日はスマップが終わってしまったり。
一年が終わる方向へ向かっていたり。


悲しいこと、
さみしいこと、
めでたいこと、
めんどうなこと、
楽しいこと、
嬉しいこと、

「なんだかよくわからないけど、なんかもう泣ける…はずなのに、なんか涙も出ない。だって忙しいし」
そんな毎日で、現実感なくバタバタしながら、スマスマを超エモーショナルに一瞬見たり、見る暇がなかったりで、

とにかくバタバタと、、


終わってしまった。。

そして終わってしまう。。2016年。

でもまだ終わってない。。

あと数日、よく考えたらまだ、4日もあるよ、2016年。

何ができるか。

とりあえず体痛いからゆっくり休みたい。

そんな風に、
上がったり下がったりしているようで常にフラットでいる、
こんな尋常じゃないメンタルの人が、日本の社会人て意外と多いのでは。。
と、クリスマスに過労自殺してしまった、まつりさんのニュースなどを見ながら、思いました。


今年の12/25は、そういう意味でも、なんだか悲しい日だったかな。
12/24はすごく嬉しい日だったけれど、実感ないまま終わってしまった。

現実感の欠如というのは、きっと別に私だけが感じている特殊なものではなくて。
12/26にはスマップが終わり、
12/27本日は、スマップロスというものが起きて、皆さん現実感ないまま、現実として受け入れられないまま過ごしているそうです。
国民的アイドルが解散した瞬間に涙を隠したところだけは、リアルタイムで一瞬でしたが目に焼き付けることができたので、そこだけ見れてよかったです。
泣ける環境なら、私もドシャ泣きしてた。でも最近、涙が出ないわぁ。忙しいって、心死んでしまうわぁ。


やはり年末年始くらい、ゆっくりしないとダメですね。。


まだまだあと4日ありますが、
(時差がある人はまだ5日あるのか…すごいな)
世界中のすべての人が、もうちょっとずつ幸せになったらいいなぁと思うのでした。
地球はものすごい速さで、1日1回転も回っている。

幸せは公平には配られていなくて、
そう考えると地球って、まん丸のようでまん丸ではないのでは、なんて思ってしまう。
地球の一部分にはドカンと悲しみがあって、果てしない崖のように凹んでいる。
地球の一部分にはドカンと山が盛られていて、そこに幸せが積もっている。
地球は回転していて、崖と山を通り過ごしていく。
ある日突然自分が立っているところに崖が来ないように、みんなが心配している。
山が来たら次は崖があるのではと、その逆もあるのではないかと。
ニュースはその山と崖を切り取っている。
毎日動く。地球は毎日動いているんだ。
あるところでは雨が降り、あるところでは台風が起き、あるところでは熱で火事が起きている。

いま幸せな人は、そんなことには気づいていない。
そんな幸せな人が、めちゃめちゃ増えたら世の中は回らないのかもしれないけど、それでもめちゃめちゃ増えたらいいのに、と思う。


とりあえず明日も地球が回っていて、
4日も地球が回っていて、
2017年が現実味ないまま訪れたら、
それが幸せってやつなんだろう。
めでたいな。年末年始って、めでたいな。

地球、あと4回転もするのか。
でっかいのに、すごいな。頑張ってるなぁ。

よし、2017年を迎えたら、心からおめでとうとか、
ハッピーニューイヤー!をめっちゃハッピーに言おう。そうしよう。
生きてるって、ありがたい。

人生で一番幸せかもしれない日々。

私はいま、しあわせ。
文書下手でごめんなさい。
とにかくしあわせで、ご心配なくの旨、伝えたくてブログとりあえず書いておきますね。


人生で一番幸せかもしれない日々が、矢継ぎ早に、怒涛のように、すぎていった。すぎていく。これからもきっと続いていく。

それは「怒涛のような」勢いのあるもので、
わけがわからなくなるほどで、
自分がどこにいるのかわからなくなるほどすべてが速く過ぎて動き、自分の足や手が速く動いていく瞬間瞬間で。
気づいたら眠気や肩こりをひきずって頭を抱えている日もあった。

だけど、
そこに「長年知ってる人の顔」「友達の笑顔」「優しい言葉」が訪れると、
さぁっと時間の波は穏やかになる。

今までの異世界から、やっと「現実」に帰ってこれたという安心感で、あの時間のこと忘れない。忘れたくない。いっぱい愛感じた。

人の「愛」ってのは、時間を操ってしまう魔法を持っている。


「風邪ひかないでね」「びっくりしたよ!」「ありがとう!」「よかった…」「おめでとう!」
そんな人々の言葉に、癒されていく、癒されていく、わたしはどんどんゆっくり地面に戻ってくる。

人が好きだ。

もし人に、自分のことを嫌いだと言われたとしたって、それがなんだ。そういう人もいるはず。

誰かのことを嫌いだと言う人は、
きっといつかバチがあたる。

だからみんな仲良しが一番。

だから私は誰かの悪口とか、汚い感情なんて一切持たない人間でいる。

誰も文句が言えないぐらいの、
優しくて強い人間になる。
それが私の今の、人生の目標だ。

人を傷つけるよりも、傷つけられるほうがいい。
そういう人間でいたい。

そして生きたいと思ってきたわたしの周りには、
気づいたらたくさんそんな素敵な人たちがいて、
その人たちの中にいるときは、まるで守ってもらっているような安心感がある。
わたしはそういう人を、うそでもなんでもなく、家族と感じる。

人への愛があふれて仕方ない。

人生で一番暗い闇に落ちかけていたけど、
そうしないと良い作品てものは生まれない。

作品が発表できることになって、
まさに天国から地獄、
人生で一番安心できる、特別な場所に神様が連れてきた。

ここでもっともっとがんばる。
たくさん食べて、明日からの、いやもう明日の朝起きてすぐからの、
エナジーにするんだ!!!!

わたしはがんばる。まだまだがんばる。
命がけの人生。まだ始まったばかり。やっとスタート地点に立てたばかり。

命がけで人を守る人生が、わたしにはとにかく向いている。
そこに改めて自信持てる日になりました。
12/24、色んな人の顔をおかげで、わかった。

全力で、どんなときも、走るなら全速で、
寒くても負けず、
腕がカメラの重さでちぎれそうでも負けず、
頭や喉が通訳しすぎて回転しすぎておかしくなりかけてても、
この地球は私の脳みそよりずっと速く回りつづけ、一日一日を私達にくれているんだ。



とにかく、人が好きだ。

人が好きだ。

いま愛に包まれてる。

これがあれば生きていける。

生きていける。

考えてたら泣いちゃうから、

とりあえずよく眠ります。

ありがとを言いたい。

とにかく多くの人に。


もしかしたらわたしの嫌いな人のこともいるかもしれないけど、わたしはそんな人のことも好き。なぜかってうまく説明ないけど。
なんだか、みんなが、好きだなぁ。。
みんなすき。この愛が、みんなに伝わればいいのに。うそだと思われず、みんなに伝わればいいのに。

みんなすきだぁぁぁぁぁぁ。明日も頑張ります!!

昔の今日を振り返る。ミニチュア写真と離人感と。撮影と離人感と。

Facebookで、
人にタグづけをしていただいたことをキッカケに、
過去の今日12/14に自分が何を投稿していたか、振り返ることができました。

2015年の今日は、ライブのためのChristmas Runaway弾き語りとしゃべりの動画アップ、
2013年の今日は、仕事のブログのための写真&ミニチュアストーリーをアップしてたらしいです。
懐かしい。。

小さな雑貨のミニチュア目線に立って、ストーリーを作ったりしてたんですよね。

これってすごくかわいいことだけど、
今気づいたけど、ああいうもの撮るときに大切なものってきっと
「離人感」なんですよ。アリス症候群とかいうらしいけど。

自分の目線のサイズを変えられるからできることだし、
多角的にいろんな目線で、子供から大人までみんなの視点でいつも考えたいと思っていたら、
この「離人感」という技術は、結構生活に必要なものでは。


この感覚があるから、人はミニチュアをかわいいって思うんだ。
こまごました雑貨とか、小さな猫の置物やストラップをかわいいって思うとき、
人はちょっと離人感覚を使っているんだと思った。
他人になったことがないからわからないけど、どうだろう??



フィギュアの写真をすごくうまく撮れる人なんかは離人感をうまく使っていそうだし、
俯瞰やアングルを常に考えているカメラマンさんや映画監督は、離人感がなければ務まらないのでは?とも思う。
違うのかな。。


だから芸術家は繊細だったり不安定だったり、少し違って。
海外でも、アーティストだけは特殊で繊細な人種だったりする。

あぁ、日本の職人さんで小さな鶴をずーっと折ってる人とか、
毎日顕微鏡のぞいてる人とか、どんな気分なんだろう。。



雑貨をああやって写真を撮りはじめたとき、
たしかに店長さんには「なにこれ」「面白い」「マイワールドだね」と珍しがられていたけど、
離人感ってみんな持ってるような気がするし、そうでもないのかも。
というか、昔の自分も持っていた?のかな。ここまでひどくはなくても。


雑貨の写真撮ってた自分なんて忘れてたけど、今の自分の延長線上なんだなぁ、変わってないなぁと確認できて、妙な安心感。
自分が変わってしまうことが、一番怖い。




去年作った、

Christmas Runaway というクリスマスソング。

これも今の自分と同じで、
「12月なんて最高にクサクサした気分になるぜ、クリスマスなんて!」という気持ちから生まれたわけで。

自分はなんにも変わってないんだなと、安心することができました。



あんまりしないけど、せっかく記録つけてるんだから、たまには振り返らないと。

走ることは飛ぶこと。

Macの調子がおかしい。
起動したら日本語システムがおかしくなっていて、
すぐ落ちるはずのダウンロードファイルに15時間かかるとか言っている。
このMacも、いつか死ぬのかな。頼むから、いま壊れないでください。。
負荷かけすぎてごめんね。人間も機械も、負担が多いと疲れちゃうよね。



今日、友達が一緒にゴハンを食べてくれた。
ありがたいことだ。
むしろ奇跡だ。
最近は出かけられないくらい弱っていたので、何度もこういうチャンスを逃してしまった。

もう2週間以上、ゴハンは1日1食。
震えたり立てない日もあるので、病院の「栄養缶」という、
死ぬ間際の人が摂取するような液体で、栄養を摂らせていただいている。

医療に、命を守ってもらっている気分。
アメリカだったらこんな風に病院にお世話になれないし、
「栄養缶」をくれるなんて、日本は本当に親切な国だなぁ。

今年の漢字を決めるとしたら「生と死」かもしれない。

今日の朝、階段の上り下りなんていうつまらない運動で、心臓が痛くなった。
今も猛烈に心臓が痛くて、(30秒くらいで一応終わった...)
とりあえず死ぬ前に残しておこうみたいなつもりで、ブログを書いている。
書いてて自分でも怖いけど、人は毎日いつ死ぬかわかんないんだ。


そして今日書くことは、
こんなもん言わないほうがいいに決まってるんだけど、
こんなもんだれも読むわけがないだろう、長いし。
という前提で、とりあえず残しておく。




夜、雨が降っていた。
傘がなかった。
帰り道、自分一人のために傘を買う気なんて起きない。
自分なんて、濡れても汚れてもいい存在だと思った。最近自分に何の価値も感じない。

「風邪ひかないようにね」と別れ際に言ってくれた友達の言葉はすごく優しくて、
自分もそんな優しい言葉をかけてもらえる日があるんだなぁと心から感動したはずなのに、
同時に、自分のことを言ってもらえているように感じない。
自分はそんな優しい言葉に値するような人間じゃないから、うまく信じられていないというか。
不思議な感覚だ。
ボケた人が自分の子供に「だれ?」と言っているような、失礼なものを感じる。申し訳ない。

ものすごく悲しいことだけど、これが今私が患っている「離人症」ってやつらしい。
絶対言わないほうがいいんだけど。こんなこと。

自分なんてゴミみたいなものだから、という思い込みのほうが強くなってしまっていて、
人のあったかさが、肌の芯までうまく届かないらしい。

ものすごく空しいけど、でも「風邪ひかないで」って言葉のおかげで、
今までの10倍100倍のありがたさと優しさを感じられる自分もいる。

氷のような自分が俯瞰や遠くで見ているのと、
超敏感な自分が何もかもを子供のような目線で、間近で迫力ある映像として現実を見ている自分と、
2つの自分が存在しているらしい。
文章にすると、気持ち悪いけど。

でもこれは実は多くの人が体験したことのあるもので、
たとえば忙しいときに笑えないとか、
いやなことを忘れてしまうとか、
一歩引いて見てみるとか、
そんなことも「離人」の1パターンなんだそうな。




帰国してから、今までなかったほど強烈な離人感から抜け出せず、毎日ひどくなっていく。
食欲も感じない。時間も感じない。自分から離れてしまっているから。
目をつぶると地面から遠く、深層心理の世界みたいなところへ行ってしまって、帰ってこれなくなってしまう。
今が冬でよかったと思うんだけど、寒さだけは感じる。
突然肩が痛くなったり、頭痛がすると、「生きてるなぁ」って思える。

ブラジルや空港宿泊のときにかかったかもしれない「ライム病」っていうウィルス系の病気も、この病気を作っている一因かもしれない。
まあでもそんな病院にかかるとか書類まとめるとか何もかも、死ぬほど面倒くさいのである。
どうせ明日死ぬかもしれないんだから、病院なんてかかっても...とか思ってしまう。
明日死ぬかもと思うと、何もかもどうでもよくて、何もかもが面倒くさい。

こんなの、生きたくても生きられない人がいるのになんてことを、とも思うんだけども、
各々が持つ状況ってのは、比較して何がどうなるわけでもない。




時間も飛んでしまって、気がつくと現実世界にとどまるために本に手を置いてそこにしがみついていたりする。
どこか遠くへぶっ飛んでいかないように、何かに手でつかまっていないといけなくて、それがPCだったり、スマホだったり、本だったり。
こうしていても理性がコントロールしているわけではなくて、どんどん意識が遠くへ飛んでいくから、自動で文字が入力されていくような状態になる。
何書いてるかなんて、自分でもわかっていないし、どうでもいい。

英語はアレルギーみたいになっているから、勉強はきちんとした文章は読んでも頭には入らない。
英単語をひたすら書いて手で覚えていくとか、ある種トランス状態みたいになりながら、ぼんやりこなしていく感じ。

現実にいないわけだ。

何よりもかわいそうなことだと思うのは、
この子は、薬やお酒でこうなっているわけではなく、そんなはけ口もなく、
自分が大嫌いでたまらない薬中とかアル中が体験しているかもしれない、嫌いなテの世界を体験させられていること。
一人でお酒でも飲んで、この地獄みたいな感覚が酒のせいだと思えたら、どんなに楽だろう。でも一人でお酒なんて飲む人間じゃない。

ちなみにスピリチュアルも好きじゃないから、「帰ってこれない」とか幽体離脱みたいなことを言うのも非常に遺憾だ。
そして、自分が体験していることが、それ以外の何物でもないことも、受け入れがたい。

眠る行為もつらい。人に説明するのもつらいぐらい。
目を閉じたら、今度はまた別の現実に引きずりこまれる。
夢は現実ほどくっきりしてるし、現実は夢ほどぼんやりしている。だから境目がない。



人に誤解されたくないなんてこだわりもなくなってしまったし、
明日死んだときのために記録しておこうか、みたいな軽い気持ちで、ここまで書いてしまった。

言わないほうがいいに決まっているけど、できればいつも正直で隠すもののない人間でいたい。
あとは単純に、記録魔なんだろうな。
記録していなかったら、明日の自分が何にも覚えていなかったら、不安で仕方ない。





あるとき「あぁ、なんもかんも空しい」っていうときがあって、
そのときに、ふわーーっと、意識が空にいってしまって、なかなか全部は帰ってこれない感じ。





こんな状態なわけだから、
今日みたいに、ちゃんと時間通りに立って準備して移動して友達と何か食べられる日は、貴重だ。
まず準備が成功した時点で奇跡だと思うんだけど、
こんな自分にも、会ってくれる友達がいてくれることが奇跡だ。




友達と食べたものはおいしいし、
友達と飲めば、コーヒーはものすごくおいしい。
一人のときは、パンもお米も、あんなに恋しかった日本食も、砂の塊を噛んでるのと変わらない。
だから友達って存在は魔法だ。人生で一番必要なものだと実感している。



お肉がおいしかった。
でも、おいしいいーっって言っている自分の、80%は体の中におさまっているとしても、
20%はまだどっかに置いてきちゃってたりする。
でも普段は80%喪失していたりするわけで、これは本当にありがたい。友達のおかげだ。




そこで食べたエネルギーが、帰り道に燃えてしまったみたい。
地下鉄の駅を出たら、
急に、外の風や、寒さを感じるってこと自体が、ものすごく気持ちよかった。
風と寒さを感じるってことに、快感を感じた。
水滴を感じる暇はなく、気づいたら足が走り出していた。

着ていたジャケットのフードをかぶると、雨が降っているのは全然感じなかった。
服が濡れてきても、それを手で触れても、「これは水滴のはず」と認識するのに、全然手で感知できなかった。
自分の体が雨に濡れている感覚がない。


ライム病では手の麻痺が起きるというけれど、麻痺っていうのも違う気がする。
あんまりわからないけど。
自分の手を触れると、知らない他人に触られているようで、ひたすら気持ちが悪くなる。



寒いとか、濡れるとか、
風邪をひくなんて関係ない。
風邪をひける明日が存在するなんて思えない。

最近、自分の体をつぶしたい気持ちでいっぱいだった。
つぶれるまで走りたいと思った。



走りはじめてすぐ、何かスイッチが入った。
たぶん心拍だと思う。
ドッと脳に「生きてる」って感じるアドレナリンみたいなものが走っていくのがわかった。


ものすごく気持ちよくなったので、気づいたら速度を上げて、まっすぐな夜道を全速力で走っていた。
その瞬間、自分が弾丸になってぶっ飛ぶように、
「生きている」という感覚が戻ってきた。

走っている足が水たまりに突っ込まれると、
自分の体ではまったく感じないのに、
その光景だけが第三者がカメラで撮影したような映像として、やけに生き生きと目に見えてきた。

だけど走っているという感覚、地面に足をついているという感覚はなくて、
ただただ飛んでいるような気分になった。

夢の中で自由に空を飛べるのと同じような、
空を飛べるものの目線で撮影した映像を見ているような、ただただ気分がよくなる光景。

体がどんどん軽くなっていって、ふっと消えてしまいそうになる。
(今考えたら、心臓止まらなくてよかった)


そこから何も考えず、無我夢中で、心臓破りの坂をのぼっていた。
「無」になって、走っているのに消えてしまったような気分。




途中でバテて膝から落ちたいくらいだったけど、休むとすぐにまた走れるようになる。
休んで息をしていると、急に地面に、現実に戻ってこれる。
そのとき、すごく生きていると思える。
自分の息があがっていることや、心臓の音が信じられない。
自分の体だってことがわからない。

なのに、休むとまた体が動くことを奇跡に思う。
自分の体だって感じがしないのに、嘘みたい。
今まで動けなかったのに、嘘みたい。

なぜか遠回りをしたくなるほど気持ちがよかったけど、
いきなり走りすぎたら体力がもたないと思ったから、やめた。




「雨の中で走ってみた」って文字だけ見ると、ロッキーみたいな熱血な感じだけど、それとは真逆。
神経が鈍い中で走るっていうのは、めちゃくちゃ怖いことだった。
いつ膝から落ちるかわからないし、どこかが痛くなっても気づかないからだ。
この恐怖感、誰かにわかってもらえるような気がしないけど、今はそれも全然気にならない。

孤独感も感じない。人がわかってくれるとも思わなくなった。


人と感情や感覚を共有できると、思わなくなった。
それと同時に、正反対の感覚もある。
自分はどんな人の感覚にも入り込んで、その人の感覚を共有できる気体のような存在でもあるようにも感じる。

こうやって文章にするのは、人にわかってもらうためじゃない。
明日の自分が全部忘れていたときに、
昨日の自分はこんな感じだったよ、と教えてあげるため。記録。
あとは同じ離人症の人がいたら、しんどいだろうなぁと思うから。
そうじゃない人に変とかやばいと思われるのは、なんだかどうでもいい。

こういう話題が好きな人が、近づいてくるようになるかもしれないし、
こういう話題を嫌いな人は、離れていくかもしれない。
もっとうまくやればいいのに。
でも人目を気にするとか、世間体を保つという最大の安全をぶっ壊してでも、
私が今自分及びもしかしたら誰かのためにしてあげたいことは「正直な記録」なのだ。



気味が悪い話だけど、自分は今「意識」だけの存在になっていて、
ずれた体の操作を一歩間違えたとき、ふっと体は死んじゃうんじゃないかな、と思う。

「気づいたら、両肩を電車のドアに挟まれていた」という経験を帰国直後にしたんだけど、
そんなことがふと起きてしまうような気がしている。
よくわからないまま気づいたらはさまれていて、反射的に周りの人がみんな手をのばしてドアをこじあけて助けてくれた上に、一秒後には何事もなかったような顔をしてくれてみんなが満員電車の中に秩序を取り戻した記憶だけが鮮明にあって、感謝している。
人の力は、集団の力は、本当にすごいなと思った。
よってたかっていたぶることもできるけれど、助けること、生かすこともできるんだ。

1年前に自分は逆の立場で、ドアにはさまれた子供を助けるために手をのばす「みんな」側に回ったことがある。
iPhoneも財布も座席に置いたまま瞬時に向かったので、後々事故の影響を調べたら「ああいうときすぐ行けちゃう人すごいわ」とツイッターで書いてくれている人がいた。
1年前の私があのとき子供のために手をのばさなかったら、人々は私のために手をのばしてくれただろうか?
考えてみたけど、過去なんて関係なく、たぶん人は助けてくれていただろう。
だって1年前の自分だって、とっさに手をのばしていたから。
人って優しいものだと思った。
だから自分も、人には優しくしなきゃいけない。




そう、「人には優しくしなきゃいけない」という気持ちが強くある。
だから「ありえないほど人に優しくない」人を見てしまうと、
ときどき許容範囲を超えて、何も言えないけれど、すごくショック受けたり、怒りを感じたり、
なんともいえない受け止めがたい気持ちになる。


8ヶ月前は、こんなんじゃなかった。
8ヶ月の間に、汚いもの、受け止めたくないものをたくさん見すぎたせいで、
脳が現実を拒否して、自分は自分じゃないと思うっていう対処法をとっているので、
体と意識が別になっているらしい。
なんか、脳みそって、すごいですね。


3月4月に、日本でいろんな人と、
桜がきれいだねーって言ってた自分は、すごく普通だった。
いつもネジ多少はずれてるかもしれないけど、
少なくとも、こんなんじゃなかった。



ということは、8ヶ月前の自分に戻ればいい。
わかりやすく「去年の自分」に戻ればいい。
去年の12月の自分は、とにかく走っていた。
歌いたいから、踊りたいから、両方同時にできるようになりたいから。体力がほしかった。
もし自分がアラジンで、ジーニーに願いを叶えてもらえるとしたら、たぶんそれがほしかったんだろう。

続けていれば叶うものと思って、新しく買ったランニングシューズを外国にも必ず持ち込んだ。
でも実際は、海外で走る余裕なんてなくて。
今朝は階段の上り下りだけで心臓が痛くなる、そこまで弱くなってしまった自分が情けなくなった。
一年で強くなるはずが、弱くなっていた。

いろいろ強くなったとは思う。体も心も。
でも結局負けて、一ヶ月ゴハンまともに食べられない状態に追いやられたら、人間てこんなに弱ってしまうものなんだ。

次の一年こそ、自分の意志を貫きたい。好きなことをしたい。

帰国してすぐ、一度走ってみたときも、ものすごく気持ちがよかったなぁ。
「走る」だけでもいいから、好きなことをしたい。

離人の治し方としても「体を動かす」っていうのが効果的らしい。
しばらくは、誰がいようと、走ることだけは人に遠慮せず、制限せず、続けていこうと決めた。

友達のおかげで、やっと体が「音楽」に戻ってきた気もする。
今日は久しぶりに「音楽」を楽しむことができる1日になった。
離人で一番つらかったのは、「音楽」すらどっかいってしまったり、つかんでもすぐ消えてしまったり。
歌詞のある曲は、日本語にも英語にも疲れてしまっているのか過敏になっているのか、聴くことでがわーっと言葉が出てきてストレスになったり、楽しむことができなかった。
作詞作曲は時々ふっとできたけど、じゃあPCやピアノに向かって...と立ち向かう体力はなかった。

今日は昼寝したら元気が出たんだけど、 そのとき「ピアノに手が届かない(地べたを這いずっている子供がピアノに手をのばしているような目線)のがすごく悔しくて、その直後のカットではピアノの前にちゃんと座って練習している」という夢をみた。
人と話して、食べて寝ると、何か力みたいなものが自分に戻ってくるんだなぁ。



自分を音楽に、自分の世界に、現実に、戻してくれたのは、周りの人のおかげ。 
そういえば昨日も「音楽やらないの?」って言ってくれた人がいたり、
なんだかんだで、人に背中を押してもらうと、それだけが強烈に頭に残る。

「え、好きだったことでしょ? なんでやってないの?」と言われたとき、
「起き上がれなくて...」と言ってるとき、すごく情けなくなった。

人々は好きなことやって自分というものを形にしていっているのに、
自分は全然自分に集中できていない。
自分がないんだから、当然だ。今。

音楽の話を少ししたら、昨夜からずーっと、ずーっと、ぼんやりと幸せだった。
ごはんを食べると、現実に戻って、気持ち悪くなって、またいやなことで頭がいっぱいになって、頭痛がしまうんだけど。。



「やりたいこと」 とか「音楽」とか、好きなことだったのかも。
今は義務みたいに、「読む」とか、文章追えないからとにかく「見てイメージとして覚える」っていうのをやってる。
サヴァンの人とかが「文章を読まずに見て写真として覚える」って言ってて、今までわけわかんないと思ってたけど、今ときどきそうなることがある。一瞬で消えちゃったりもするんだけど。
そういうとき、自分の中にフィルターってものがなくて、スッと何にでも入っていける浮遊物になった気がする。
現実や、型にはまったものの中に入るのは、むずかしい。
問題集の答えの枠を見ているだけで、自分が枠に閉じこめられているような気がして苦しくなったりする。



音楽には言葉がないものもあるし、延々と機械音がくり返されたりするのが、最近妙に好きだ。
前は退屈で仕方ないと思ってた。

無理しなくても、気持ちに合うような切ない曲や、ここにいないような浮遊感のある曲だって、いっぱいある。
そういうものを聞いていると、自分の感覚を共有してくれる存在があるようで、安心する。





一番無理しないでできることは、音楽かもしれないなって、思うことができた。
やりたいもの、映像にしろ、英語にしろ、音楽ありきだし...。


自分の手に感覚はないんだけど、
まるで色んな人に手を引っ張ってもらって、音楽という場所まで連れ戻してきてもらった気分。
別に誰かに手を触ってもらっているわけでなくても、
そんなふうに映像として、人の気持ちや感覚が残っていく。

だから、記憶もこれからどんどんめちゃくちゃになっていくのかもしれない。
映像として頭に残っているものが、しっちゃかめっちゃかになっていく。
どんどん、あるものないもの、夢も現実もいっしょくたに、同じファイルに放り込まれて、どんどんデータ膨らんでいく。追いきれない。
ある日ハードディスク壊れそうで、怖い。



うまく言い切れない感覚ばかりで、ああ言葉にできない、と思うとなんだかすごくしんどいんだけど、

「じゃあ音楽にしていこうか」っていうのも、思ったより日数のかかる、現実的な問題なのだ。うんざりするほど。
だからそれをやりたかったら、明日も生きていかなきゃいけない。
起き上がれないとか、言っている場合ではない。




一時的なものですみますように。

90年代〜2000年代の日本のJPOPや小説。薬物ダメゼッタイ。 #邦楽 #90s #00s #サブカル #シャーマン #田口ランディ #かまいたちの夜

昨日はシャーマンの話を書いたけれど、
シャーマンの話がきらいです。
薬物の類が、大きらいだから。

小学校の道徳の授業で、
徹底的に教え込まれた「ダメ、ゼッタイ。」

当時、エイズになった女子高校生役を演じた、深田恭子のポスター。
「強固(キョーコ)な態度で、キッパリNO!」(妙に印象に残っている)
 

さらに喫煙で肺が真っ黒になった人の写真を見せられたのは衝撃で、それ以降、
「煙草も副流煙も、一歩まちがえりゃ殺人罪」という標語のもと、
自分は一生煙を吸う行為には手を出さないと誓ったものでした。
 
別に人が吸うのは自由だけど、この人は肺を真っ黒にしたくてやってるんだから仕方ないもんだなぁーと思いつつ、あの写真が脳裏によぎったりします。
そんなどうしようもない世界中のタバコベイベーたちに向けて、タバコベイベーという曲を書いて歌って踊ってしまったのも、去年の今頃ですなぁ。


当時10才そこらのピュアな子供達にとって、知らなくていい世界を垣間見せた、道徳という授業よ。
わたしの人生は、あれによって救われている。

薬物は「ちょっと一回のつもり」で手を出したら終わり。
10歳の脳みそにしつこくそうリピートされたので、生涯手を出さないでしょう。


「死ねって言葉は人に使っちゃいけないと思います。人を傷つける言葉だから、人に使っちゃいけないよって、お母さんが言ってました」
という学級会で発言したクラスメイトの凛々しい姿も、同じく脳裏に刻まれている。
 
だからFワードとか人に使う人、ほんとだめ(>_<)
流行語大賞にノミネートさせた日本も、信じられない。。
けど、あのお母さんたちの意見はだいじだよね。。うーん。
 
あのヘビーな道徳教育をわたしたちに施したあの日の日本は、今のスカスカっとした世の中とは違った。
デジタルとアナログ。 

あの頃みんなが買って聴いてた音楽は、CD。つまりは音がいい。
いま人々は、情報が軽いmp3ファイルを、同額でダウンロードして買ってる。
音がスカスカ。情報量がスカスカ。
ファイルの重さももちろん違う。
WAV送るときは「重すぎます」って警告きて時間かかるけど、mp3は一瞬で送信可。
画像ファイルでいうと、粗い写真に慣れているような感じ。
 
同じ値段で、それでいいの?
こんなにクオリティ違うものに等価出すの?
いいCDはやっぱり、コンポに入れてスピーカーで聴くといいよねぇ。

どうでもいいけど、増税やらなんやらでティッシュ一箱に入ってるペーパーの量すらスカスカになった。
一袋に入ってるポテチの量も、減ったでしょ。
なんもかんも、スカスカになったなぁ。


地下鉄サリン事件など、ダークで精神的な闇の時代。
おばさんがカレーに毒いれて大量に人を殺したり。
バブルがはじけて、リストラ食らって、お金なくなったお父さんたちが生きることに辞表を出していた。

だからあのころって、急に覚せい剤とかが問題になった頃だったんでしょうか。
子供だったのでよくは知りませんが、子供としての目線で覚えていることはたくさんある。

よく保健室や交番で、
ボロッボロになった廃人のイラストとともに
「人間やめますか、覚せい剤やめますか」なんてコピーがそこらじゅうにあって。
もはや軽いトラウマのごとく、思い出せる。

明るい風は、日本には吹いていなかった。


小学生、中学生のころ、死ぬほど本を読んだ。

小学校の夏休み、
1人夜中に勉強机のスタンドの電気をつけて、
朝までに文庫本の「リング」やら「かまいたちの夜」の著者による、めくるめく恐怖の世界。

リング (角川ホラー文庫) [ 鈴木光司 ]


感想(2件)

新装版 殺戮にいたる病 (講談社文庫) [ 我孫子 武丸 ]


感想(1件)

【資料集】 かまいたちの夜 公式ファンブック 【中古】



 今なら途中で読むのをやめるような、エグいホラー小説の数々。
夜中に読みはじめて「ようやく朝が来た」というときの安心感はすごかった。

「アルジャーノンに花束を」を読みはじめた時と、読み終わったときのことも覚えている。
読書が好きだ。
読書は昔、体験だった。最近ああいうリアルタイムな楽しみ方、できていないな。

そして、あれは多感な中学生のとき。

田口ランディの著書「コンセント」がわたしの手に回ってきたのは、なぜだったのか思い出してみる。

当時、サブカルってものは、サブではなくてメインカルチャーだった。

「不思議ちゃん」なる言葉が生まれ、
篠原ともえさんはクルクルミラクルを歌い、
TVCMは坂本龍一さんの悲壮感あふれるピアノを流しつつ、
ビレッジバンガードでは「完全自○マニュアル」が売り切れ。
 
「ストーカー」という言葉や、
「うつ」というネガティヴな精神世界の概念を定着させていった。

働く自殺者を思いとどまらせるのに必死な社会だった。
わたしたちの青春時代は、物悲しくって、暗いのだ。
子供時代ってのは、いつだってだれだって危険がいっぱいだとは思うけど。
K DUB SHINEさんがSave the children出してた頃かもですね。

あのころ、音楽番組をつければ、今週のナンバーワン発表は、いつも熱くて目が離せなかった。
ミスチルのEverythingが、何ヶ月も1位にSTAYし続けたのは、もはや歴史的だった。
ポケビやブラビやとんねるずなどの企画物が順位争いを繰り広げていて、CDはたくさん売れていた。

Everything(It's You)


縦長シングルCDの時代!!!

あるとき、また伝説が起きた。
デビューして波に乗りはじめた椎名林檎嬢が、ギターを振り回しての快進撃。
ユーミンのように独特で人間とは思えない機械じみた声でがなりながら、
恐ろしいメイクに可愛いワンピースという、お茶の間のみなさんもけして無視できない出で立ちで、
洒落たドイツの車を、盛大に叩き割っていた。

相川七瀬さんを「ちょっとカッコいいお姉さん」と思っていたキッズたちの心を、かっさらっていった。

そのときの椎名林檎さんは「いかにもタバコ吸ってそう」な悪くて怖いお姉さんのイメージだったけれど、
音楽好きな友達に「ファーストアルバムは聞くべき」と言われて購入。
そのアルバムの文学性にシビれた。

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本が好きな人間は、椎名林檎のファーストアルバムの歌詞カードが好きになる。
このアルバムの歌詞カードは、本だった。

CD聞いて本を開く。
歌詞カードを読みながら聴く音楽は、格別。
よくある脳内プロモが流れたりするわけなんだけど。
 
今の人達はすぐiPhoneで脳内プロモを具現化しちゃったりできる環境。
自分の思う脳内プロモを、実際作ってYouTubeにアップしちゃう。MADとかそういうことですよね。


椎名林檎のファーストアルバムを聴けば、名曲「丸の内サディスティック」で多分八割の人がグッと何か掴まれる。
いい曲は三曲目が定石。
イントロがキュンと始まるから名曲。とってもブルージー。
その歌詞に出てくる「ベンジーって何?」という疑問がわくのも、当然のこと。

「ブランキージェットシティの浅井さんのことらしいよ」と、同世代の音楽好きに教えてもらった。

その「同世代の音楽好き」になんとなく尋ねた、
「最近面白い本ある?」

帰ってきた言葉が「田口ランディのコンセント」であった。



素直な中学生はすぐにそれを買って、文庫本を読んだ。
最後のオチは中学生にはわかるわけもなく、
「なんじゃこりゃ?」であった。

オチをネタバレします。
なんだかんだで主人公の女はマジメなOLだったけれどビッチになってしまい、最終的にはマンションの個室で客をとり、体を売って人を「癒す」ことに女としての幸せを感じる、というどうしようもないオチだった。
ザ・ミレニアム時代のやるせなさ。古いノリだね。

喜んで身売りしてる女がいるかのような描写に、女として違和感を覚えた。
男性が書いたのかと思った。

読みたい人は読めばいいと思う。
「なにこれ、女バカにしてるの?」的な無駄な怒りがわいてしまう可能性があるけどね。わいたよ。

その違和感や嫌悪感の正体がなんとなく分かるようになったのは、20歳くらいのとき。

図書館で手に取った「田口ランディ」、タイトルは覚えていない。
知ってる著者だったら誰でもよくて、とりあえず掴んだ本。


当時インドネシアに興味が出てきて、ちょうどバリ島を舞台にしていたその本を読むことにした。



あ、これもネタバレします。

一人旅のOL女性。バリ島で傷心一人旅行。
いささか強引なアプローチをしてくる、ツアー客の白人男性。
村の名物である「ダンス」を見に行こうということになる。
最終的にはシャーマンが出てくる。
なんか怪しい部屋の中で、男女が謎の薬物っぽいものでアレになって、
わーっとなってるうちに男に襲われてしまう。 

そのいきなりの描写にも驚きだが、
暴行行為がかなり細かく描かれ、心理描写もついているのが、おえー。

「生理的に受け付けられないほど気持ち悪い。ひどい。でもだんだんそれも仕方のないこととして受け入れていた」的な、やけに男にとって都合のいい描写

小説の最後は飛行機に乗り小さくなっていくバリ島を見ながら、
「まあ、この景色を見ていればそんなことも許せる…旅だし…」みたいなノリの、オチ。

ふざけんなぁぁぁぁぁ!そんな一晩で許していいレベルの暴行じゃないだろ、それは犯罪だぁぁ!!!
女がそんなに簡単に性暴力を許すと思うなよ、この作者、と。

わたしはあまりの顛末に、床に体をゴロゴロローリングさせ、最終ページまで耐えて見届けてから本をぶわっとブン投げたね。
こんなオチ、女として許してたまるかー!!!!!
単なる、泣き寝入りじゃないか!!!! しかも世界規模の!!!

海外で日本人女性にそんなナメたマネする男なんて、警察直行、インドネシアの監獄にぶちこんでしまえ!!!!(犯罪なんだから普通そうでしょ)


田口ランディが女か男かは知らないけど、男が書く小説。男のための小説。
ミソジニーっていうのかな。
こういう作品を残していく表現者の罪は、大きいね。

早く方向転換して、今までとは違う作品を出してほしい。
そうじゃなきゃ、何十年もこんな性のファンタジーを売ってますって、名前背負ってるの、本人だって恥ずかしいでしょ。
 
この人の書く、「女なんてクズじゃん」「どうせこういう扱いされるのが当然じゃん」みたいなノリ。
女性の尊厳を感じない、女性主人公を商売として売り物としてとらえている感じ。

有名作「コンセント」も含めて
ビッチばんざーいな終わり方。それをよしとしてる。代表作も、スカートの中のなんとやらだし。

田口ランディは二度と読まない!!!って決めました。軽蔑した。

だからわたしも、田口ランディには終始断固として敬語をつけていません。この人をさんづけで呼ぶ日は訪れない。ふだんはだれでも「さん付け」するけど。
海外にいる女性をあんな扱いするって、それをよしとしているって、最低だわ。 


当時は「ビッチばんざーい」な女流作家の作品も多かったけど、徹底的な違いがありました。
女性のために女性の立場から女性を喜ばせるために書かれていた小説では、性犯罪者を一晩で許す概念なんてないです。
女性の尊厳をちゃんと主張してくれてますから。
 
たとえば、柳美里さんの「ゴールドラッシュ」、
山田詠美さんの「ひざまずいて足をおなめ」、
桜井亜美さんの「イノセントワールド」などの作品。
わあ、なつかしい(たぶん本好きにはわかる)。


 

それらは「女としての苦悩」「獲物のように狙ってくる男たちふざけんな」「女にだって尊厳あるからそこを汚したら許さない」というところを描いてくれていた。
だから本質的に、全然違う。


もし今後、田口ランディさんに会うことがあって良い人だなぁーと思うことがあったとしても、
田口ランディの本は二度と読まない。
読書体験の中ですら、あんな体験はさせられたくない。

いまだにバリ島って聞くと胸がざわつくので、バリ島に謝れって思ってる。

わたしはこの影響でシャーマンが嫌いに、大嫌いになりました。



本当にあの本に出てくるようなことをやってるならシャーマンってやだなぁと思ってたけど、
YouTube時代に見えてくるリアル。体験談やビデオが落ちてるリアル。
いやあ、2010年代はすごいな。スカスカとか言っちゃったけど。
シャーマンって本当に、クズみたいなことやってるんだなぁということがわかりました。
彼らは自分がやっていることがわかっていないのです。


シャーマンが飲ませる変な薬で、アル中の治療とかやってるらしいですね。
それも中毒者の正当化にしか聞こえないのですが。。
新たな依存先というか、一回すごいドラッグ体験をさせて満足させているだけでは?と思いますし、もっといい治療法があるのではとおもってしまいます。


わたしもFワード恐怖症のフラッシュバック強くて今困ってますが、
薬物なんかに助けてもらおうとは1mmも思いません。
わたしは自分の力で戦います。

薬物、お酒、タバコ、借金。
これらは絶対人生でやっちゃいけないことなんだと自分で決めています。
その代わりに、イライラしたらチョコレートを食べる、ミルクティーを飲む、パスタ食べる。音楽をやる。友達と遊ぶ。カラオケに行く。

うーん…糖分のとりすぎもドラッグみたいなものみたいなので、気をつけようと思います。
(アメリカで、砂糖大量に入ったクッキーやドーナツを摂取した直後の子供が、ハイになるのを目撃した)

あとはいうなれば、活字中毒。
こうして思いを活字にして世界に発信できる時代だから、活字で言いたいことがある。


薬物、ぜんぶ、だいっきらい。

それの支配下にある人間、
それでお金を儲けている人間は、もっときらい。

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